11月23日 勤労感謝の日 失敗と通貨のしられざる関係

 仕事の失敗談は通貨みたいだと思う。他人の仕事の失敗談を聞いて、頭の中のポケットにしまうなりして貯金にしておくと、いざという時の備えになるし、他の誰かと話している時の引き出しにすると、信頼に繋がるし、その人も心を許して別の新たな失敗談を話してくれるかもしれない。人間関係の血流も良くなる。なんだかいやらしい話だけど、とても通貨みたいだと思うのだ。

 失敗系でいくと、失敗した時の回避語彙を折に触れて集めている。砂浜に散らばったきれいな貝殻を拾うみたいに。

 みんなが一生懸命に何かをやっていると、みんながそれぞれに何かが見えなくなっていく。その何かは、何らかの作用によって集積し、ひとつの歪みとして顕現する。ここまでは日常的に起きていることだと思う。僕らが普段気付いないだけで。ただやっかいなのがここからで、集積し、顕現した歪みが、何かの拍子に衝突してしまった時、つまりクラッシュした時、人は失敗する。

 こうして初期にポリプ時代だったクラゲが成長の過程を経て大きな親クラゲになるような過程を経て、僕たちは「失敗」という授かり物を手にすることになる。

 結論のない話だが、僕が最も納得いく人の多い可能性のある回避語彙、それは「仕方がなかった」だと思う。庶民用、デウスエクスマキナ。これは直感。一度持ち帰って検討します。みんなの意見も聞きたいと思っています。

それでは、こんな時間なので。